フィデリオ@日生劇場
- 2013.11.23 Saturday
- 22:18
ベートヴェンのオペラ「フィデリオ」。彼の唯一のオペラであり、50年前、当日生劇場での柿落としでも演奏されたように、「アイーダ」とともに記念公演などでも取り上げられる作品。公演のチラシにも、「21世紀に日生劇場が再び問う「フィデリオのメッセージ」とは」とある。指揮がマエストロ飯守でもあり、期待は十分だ。
まず、合唱が素晴らしい。有名な「囚人の合唱」。囚われていた囚人がロッコ親方の配慮で地下牢から恐る恐るそろりと出て、久方ぶりの?のやわらかな陽射しを浴びた時の、希望と喜び。しかし、それは束の間の安息であり、絶えず監視されていることには変わりない恐れや不安。そうした一人ひとり囚人の心の陰影を見事に演じ表現しきった。これまで合唱で涙することはなかったが、気がつけば、こぼれ落ちる雫で目の前が曇っていた。この場面は永遠に脳裏から離れないだろう。
場面が変わる2幕2場の冒頭や最終場面も立体感ある音が会場全体に広がった。
合唱は「C.ヴィレッジシンガーズ」とクレジットされていて、合唱指揮は田中信昭さん。納得このうえない。
ソリストの方も配役通りの見事な歌唱だ。
レオノーレ役の小川さん。最初こそ「声が細いかな?」とも感じないではなかったが、そんな懸念はすぐ吹き飛んだ。「勇気があれば...」とのセリフに感化されるように、劇が進行するに従って役になりきり「強く勇気あるレオノーレ」に変貌していった。
また、ロッコ役の山下さん。理想的なバスバリトンの声で終始安定した歌唱を聴かせ、劇をより引き締め、確かなものにしていった。今日の公演成功の立役者といってもいい。
ヤキーノ役の小貫さん。道化的要素のある役はある意味日本人には不得手に思えるが、小貫さんにはそれは当てはまらない。コミカルな表現力は今日もピカイチで、なくてはならぬ存在だ。
ほか、ドン・パピッロ役のジョン・ハオさんも押し出しの強い爆発的な声、マルチェリーネ役の安井さんのチャーミングな表現、いずれも魅力的だった。ただ、フロレスタン役の成田さん、演技はともかく、歌唱が演技を超えて?と思えた(もしかしたら調子がよくなかったのかもしれない)
オケも好演。「レオノーレ3番」などは、尋常ではない出来。生気みなぎる、ほとばしる音とはこのような様をいうのだろう。
演出も過度に斬新にならず、オーソドックスなものに現代的なペーソスを散りばめたものなので、聴衆に無理なく受け入れられる解釈。
これらを全て取りまとめたのがマエストロ飯守だ。
オペラ指揮中の指揮者の姿はいつでも見えるものではないが、今日は会場、席と好条件が揃って、時折拝見出来た。時間軸の連なりの中、一瞬も逃がさずオケやソリスト、時には合唱に指示を飛ばし続ける姿。それ自体考えてみれば驚異的で万人にできることではないが、加えて作曲者の意図を汲み取り最高の物を提供していくことがどんなに困難なことか。考えてみれば畏怖さえ感じてしまう。
これだけ縦横無尽にオペラを指揮できる指揮者、オペラを知り尽くした指揮者は日本にいるだろうか。公演チラシには「作曲家の世界観をあますところなく蘇らせる飯守泰次郎の指揮」とある。今日の公演はそのとおりの指揮ぶりであり、オペラ指揮者のとしてのマエストロ飯守の凄みを改めて再認識した。来シーズンからの新国の芸術監督としての手腕、期待大だ。
また改めて感じたのはベートーヴェンの人間臭さと偉大さ。
劇の最終場面2幕2場で、国王の使いとしてドン・フェルナンドが登場する。民衆はこれまでどおり?敬意を払うべく跪くがフェルナンドは言う「跪く必要はない。みな兄弟姉妹なのだから...」。最終場面の全員による合唱でも「愛と勇気の勝利だ」と延々と歌い続ける。
台本もストーリー自体シンプルで魅力に富んでるとは言えない。とすれば、魅力的な作品とするには音楽の力が大きい。作品自体も前半は音楽劇的要素が多分にあり、セリフによって音楽が中断してしまう点もある。が、最後は圧倒的な高揚感までもっていく。作品が記念公演として演奏される所以もこのあたりにあるのかもしれない。
主催者が意図した「21世紀に再び問うフィデリオのメッセージ」。個人的には先日の「戦レク」に通じるものを感じ取ったが、鳴り止まぬ万雷の拍手を見れば、聴衆の個々人がそれぞれの想いでメッセージを受け取ったと思う。
50年前の柿落とし公演同様、今回も今後語り継がれる「フィデリオ」演奏となった。
〈データ〉
日生劇場開場50周年記念公演
オペラ フィデリオ
2013.11.23(土) 14:00
日生劇場
指揮:飯守 泰次郎
レオノーレ:小川 里美
マルチェリーネ:安井 陽子
ロッコ:山下 浩司
ヤキーノ:小貫 岩夫
ドン・ピツァロ:ジョン・ハオ
フロレスタン:成田 勝美
ドン・フェルナンド:木村 俊光
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:C.ヴィレッジシンガーズ
【料金】 A席 11,000円
まず、合唱が素晴らしい。有名な「囚人の合唱」。囚われていた囚人がロッコ親方の配慮で地下牢から恐る恐るそろりと出て、久方ぶりの?のやわらかな陽射しを浴びた時の、希望と喜び。しかし、それは束の間の安息であり、絶えず監視されていることには変わりない恐れや不安。そうした一人ひとり囚人の心の陰影を見事に演じ表現しきった。これまで合唱で涙することはなかったが、気がつけば、こぼれ落ちる雫で目の前が曇っていた。この場面は永遠に脳裏から離れないだろう。
場面が変わる2幕2場の冒頭や最終場面も立体感ある音が会場全体に広がった。
合唱は「C.ヴィレッジシンガーズ」とクレジットされていて、合唱指揮は田中信昭さん。納得このうえない。
ソリストの方も配役通りの見事な歌唱だ。
レオノーレ役の小川さん。最初こそ「声が細いかな?」とも感じないではなかったが、そんな懸念はすぐ吹き飛んだ。「勇気があれば...」とのセリフに感化されるように、劇が進行するに従って役になりきり「強く勇気あるレオノーレ」に変貌していった。
また、ロッコ役の山下さん。理想的なバスバリトンの声で終始安定した歌唱を聴かせ、劇をより引き締め、確かなものにしていった。今日の公演成功の立役者といってもいい。
ヤキーノ役の小貫さん。道化的要素のある役はある意味日本人には不得手に思えるが、小貫さんにはそれは当てはまらない。コミカルな表現力は今日もピカイチで、なくてはならぬ存在だ。
ほか、ドン・パピッロ役のジョン・ハオさんも押し出しの強い爆発的な声、マルチェリーネ役の安井さんのチャーミングな表現、いずれも魅力的だった。ただ、フロレスタン役の成田さん、演技はともかく、歌唱が演技を超えて?と思えた(もしかしたら調子がよくなかったのかもしれない)
オケも好演。「レオノーレ3番」などは、尋常ではない出来。生気みなぎる、ほとばしる音とはこのような様をいうのだろう。
演出も過度に斬新にならず、オーソドックスなものに現代的なペーソスを散りばめたものなので、聴衆に無理なく受け入れられる解釈。
これらを全て取りまとめたのがマエストロ飯守だ。
オペラ指揮中の指揮者の姿はいつでも見えるものではないが、今日は会場、席と好条件が揃って、時折拝見出来た。時間軸の連なりの中、一瞬も逃がさずオケやソリスト、時には合唱に指示を飛ばし続ける姿。それ自体考えてみれば驚異的で万人にできることではないが、加えて作曲者の意図を汲み取り最高の物を提供していくことがどんなに困難なことか。考えてみれば畏怖さえ感じてしまう。
これだけ縦横無尽にオペラを指揮できる指揮者、オペラを知り尽くした指揮者は日本にいるだろうか。公演チラシには「作曲家の世界観をあますところなく蘇らせる飯守泰次郎の指揮」とある。今日の公演はそのとおりの指揮ぶりであり、オペラ指揮者のとしてのマエストロ飯守の凄みを改めて再認識した。来シーズンからの新国の芸術監督としての手腕、期待大だ。
また改めて感じたのはベートーヴェンの人間臭さと偉大さ。
劇の最終場面2幕2場で、国王の使いとしてドン・フェルナンドが登場する。民衆はこれまでどおり?敬意を払うべく跪くがフェルナンドは言う「跪く必要はない。みな兄弟姉妹なのだから...」。最終場面の全員による合唱でも「愛と勇気の勝利だ」と延々と歌い続ける。
台本もストーリー自体シンプルで魅力に富んでるとは言えない。とすれば、魅力的な作品とするには音楽の力が大きい。作品自体も前半は音楽劇的要素が多分にあり、セリフによって音楽が中断してしまう点もある。が、最後は圧倒的な高揚感までもっていく。作品が記念公演として演奏される所以もこのあたりにあるのかもしれない。
主催者が意図した「21世紀に再び問うフィデリオのメッセージ」。個人的には先日の「戦レク」に通じるものを感じ取ったが、鳴り止まぬ万雷の拍手を見れば、聴衆の個々人がそれぞれの想いでメッセージを受け取ったと思う。
50年前の柿落とし公演同様、今回も今後語り継がれる「フィデリオ」演奏となった。
〈データ〉
日生劇場開場50周年記念公演
オペラ フィデリオ
2013.11.23(土) 14:00
日生劇場
指揮:飯守 泰次郎
レオノーレ:小川 里美
マルチェリーネ:安井 陽子
ロッコ:山下 浩司
ヤキーノ:小貫 岩夫
ドン・ピツァロ:ジョン・ハオ
フロレスタン:成田 勝美
ドン・フェルナンド:木村 俊光
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:C.ヴィレッジシンガーズ
【料金】 A席 11,000円