Julia Fischer@Schauspielhaus
- 2016.11.19 Saturday
- 23:12
ユリア・フィッシャーが出演する演奏会がドレスデンであるというので、18日からドレスデンに来ている。
こう書くと「わざわざ聴きに???」と聞こえるが、先に外遊の予定を決め演奏会を探していたら、ドレスデンで彼女が出演するというので...というのが正直なところだ。
曲はハチャトリアンの協奏曲。この曲を聴くのは初めてだが、そんなことはまったく関係ない。前から3列目という好位置のためだけでもなかろうが、冒頭から彼女の勢いに圧倒された。
バイオリン曲をそれほど聴いているわけでもなく、ソリストをそんなにつぶさに見ているわけでもないないが...
ソリストは極端に言えば2通りのタイプに分類されるかもしれない。
一つ目は「わたしについてきて!」とただひたすらに自分の世界を表現することだけに集中するタイプ。指揮者もオケもとにかくソリストが引きやすいように合わせる。
二つ目は”協奏”の名のごとく、ソロではあるが、ある意味も自分のオケの一員のように指揮者を見続け協調するタイプ。今日の彼女は明らかに後者である。
「どこからでもいいわよ」と言わんばかりの自信たっぷりの、変幻自在の演奏ではあるが、その立ち位置が指揮者より客席側に出ることも皆無。体が客席に対して平行になるような状態のときはほとんどなし。
指揮者と終始コンタクトを取るため、その立ち位置は指揮者より一歩下がってオケ側にあり、体も客席とは45度の関係。
こういう演奏が出来るのも、指揮者やオケとの信頼関係があるからかもしれない。リラックスして演奏していたのは明らかに見て取れるし、緊張の中にも時には笑みさえ感じされる余裕。なかなか普通の状態では見られるものではない。
力むことなく、曲の入りと終わりにまったく隙がなく、最後の一音までよどみなく弾ききるという姿勢。そんな彼女の演奏を聴くと、アンコール曲のパガニーニの奇想曲も、ある意味普通の曲でしか聞こえなくなる。
超一流演奏家の”凄み”を肌で感じた貴重な一夜であった。
さて、明日はライプツィヒに移動して、ドヴォルジャークの「レクイエムだ」。
P.S.1
実を言うと、今日のチケット、4月前にネット照会したら「売り切れですが、開演一時間前にボックスオフィスへ。聴けるチャンスがあります」とのメールをもとにひたすら待ち。結局、開演2分前に座席未定券が手に入り、オフィスのお兄さんとホールへ駆け上がり、本人登場10秒前に座席に滑り込んだという席。執念が実ったので、感慨もひとしお。
P.S. 2 ドレスデンで一考
初めてのドレスデン(初めての旧東ドイツ)。人口は50万を超えるというが、トラム(路面電車)網が街中に縦横無尽に張り巡らされ便利至極。街にセカセカ感がなく、ゆったりとしていて生活を楽しんでいる印象。
また、他の欧州のどの街もそうかもしれないが、必要以上に街中に照明をつけないので、無駄な明るさがない。駅前でさえ暗い部分があるがそこは必要ないからだろう。
そのためか、スポットライトを浴びた名所旧跡の建造物がよく映える(Semper operの雄姿、素晴らしかった)。観光の意味合いもあるかもしれないが、それだけ自分たちの歴史に誇りをもっていることの証でもあろう。
翻って日本でもこの手の話は遡上に上って久しい。「街が明るすぎる」という議論だ。昔日の日本人は「闇」を楽しむことを知っていたが、いまはどの街でも明るい。中には「ここまで明るくしなくても」というところさえ照明がついていたりする。最近では防犯上の理由から「もっと街灯を増やして明るくして」という意見も多いらしい。
日本人は「明るさ」+αを手に入れたが、それによって失ったものがあることも知らずに過ごしてきたかもしれない。
〈データ〉
Philharmonie im Schauspielhaus
19.11.2016 19:30 Uhr
Schauspielhaus - Großes Haus
Aram Chachaturjan:Konzert für Violine und Orchester d-Moll
Dmitri Schostakowitsch:Sinfonie Nr. 5 d-Moll op. 47
Michael Sanderling: Dirigent
Julia Fischer: Violine
Die Dresdner Philharmonie
【Preise】 10€