市原さんが出演するので、音楽堂まで出かけた。登場しただけで会場が華やかになる。。。
普段はあまりしないが、リーフレットにある歌詞の対訳を見ながら聴きたくなった。
よく言われることだがこの「メサイア」、他の彼のオラトリオ(ほとんどの方は知らないと思うが...)と比べると異質だ。それはソリストの扱いだ。
他のオラトリオはオペラのように、物語(主に旧約聖書が多い)の登場人物をソリストに委ねるが、メサイアは物語(キリスト降誕等)の解説者であって、登場人物ではない。その意味では合唱と同じだ。
ドナルド・バロウズ編「ヘンデルー創造のダイナミズム」によると...
「(1754年の孤児養育院での上演の際の演奏者一覧表での)独唱者は合唱メンバーと区別されることなく一括して挙げられていた。(1759年孤児養育院に遺贈されたメサイアの演奏用の楽譜では)独唱者用の楽譜の中に合唱も書き込まれている。現代風に言えば、独唱者も合唱部分を歌っていたことになる。ヘンデルとしては、合唱曲は独唱者たちが合唱メンバーと共に歌うもの、ということだったかもしれない。」とある。
確かにこの「メサイア」に関しては、独唱、合唱の役割分担がはっきりせず、ある意味同じ役割を演じているとも言える。独唱も合唱も区別ない。その意味ではやはりこの曲はいわゆる"合唱曲"なのかもしれない。
それはそれとして、市原さんはやはりすばらしい。一曲一曲に思いを込めた表情たっぷりの歌唱には聴衆に訴える力をひしひしと感じる。それも押しつけがましいのではなく、あくまで自然体なので体の中に素直に受け入れられるのかもしれない。
ある指導者が言っていた。「正しい音程、正しいリズムで歌えば音楽になるわけではない」と。
また、音楽堂での「メサイア」は5年後の平成27年に第50回を迎える。そのため、これまでの「財産」を豊かな音楽体験の場として次の世代へ受け渡していくための、今後5年間にわたる新企画として、「音楽堂『メサイア』未来プロジェクト」を立ち上げたという。その初年として高校生約20名が、「ハレルヤ」と「終曲(アーメン・コーラス)」の演奏に参加。
そして高校生が大人と歌った2曲。合唱団の音色が激変した。輝かしさが一層増したと言ったほうが正しい表現だろう。
先に引用したバロウズ編にも「1754年の演奏で合唱の最上声部はボーイ・ソプラノ4人と劇場のふたりのソプラノの独唱者が歌っており...」とある。
このことを知っていたかどうかはわからないが、見事な企画と演奏だった。
ただ、自分としては、終演後お互いを称え合う時、もっと高校生の健闘を称える場面があれば、彼らにも強く印象に残るものとなったであろうし、企画の趣旨がもっと深まったのではとも思ったが、どうでしょう?
〈データ〉
第46回クリスマス音楽会
「メサイア」全曲演奏会
2011.12.11(日) 14:30
神奈川県立音楽堂
指揮:小泉 ひろし
ソプラノ:市原 愛
アルト:上杉 清仁
テノール:中嶋 克彦
バリトン:加耒 徹
チェンバロ:長久 真実子
オルガン:宇内 千晴
合唱:神奈川県合唱連盟
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
【料金】 全指定席 1,000円