オランダ人@神奈川県民ホール

  • 2016.03.19 Saturday
  • 20:51
前日の本番の疲れが残っていたものの、「オランダ人」を聴きに横浜まで出かけた。朝から冷たい雨が降りしきるあいにくの天気だったが、公演終了後は澄みやかに晴れ渡る青空が広がっていた。公演内容もそれに呼応するかのような素晴らしい出来だった。

それぞれのキャストがその役割にふさわしい歌唱をしていたのが何よりだ。
まず、オランダ人のロバート・ボーク。大柄な体格から発せられる図太い声は最後まで生き生きとし、舞台を引っ張った。ダーラントの斉木さんもたぶん初めて聴いたことになるとは思うが、オランダ人と互角に渡り合った歌いっぷりは見事。あれだけ安定した声で歌えるバス歌手は日本ではなかなか少ない。「オペラに欠かせないバス歌手」とパンフに書いてある通りである。
ゼンタの横山さんも文句なしの出来。欲を言えばあとわずかに声量が増し、覆いかぶさるような音の深みが加わればさらに輝くに違いない。
意外と言っては失礼だが、樋口さんのエリックも秀逸。これまでは甘い美声とのイメージが先行した関係か線が細いのではとの印象だったが、鋭角的な声が会場に響き渡った。ただワーグナーならあと一回りの声の太さがあってもいいとの印象。

そんなソリストの個の力が十分に発揮されたのだから、第1幕でのダーラントとオランダ人との出会い、第2幕のゼンタのバラード、オランダ人とゼンタの二重唱、第3幕のオランダ人の絶望と三重唱などの聴きどころも聴きごたえ十分。

今回は合唱も気合十分。二期会、新国立、藤原とそろい踏み。
もう4年近く前になるが、アマオケながら「オランダ人」全曲演奏に合唱として参加させていただいたことがある。その時に感じたのは、オペラの合唱曲をアマチュアがやろうとするにはかなりハードルが高いということだった。
曲によっては言葉がついていけないことももちろんあるが、それ以上に難しいのは、たとえて言うなら、移動しながら回っている縄跳びの縄に、何事もなかったかのようにこちらも動きながら「すうっ」と入ることである。
そんな困難を知っているからこそ、当然といえばそれまでだが、難なくやってのけるプロ合唱団の出来に敬服。特にノルウェー船から幽霊船の合唱に切替わる際と、荒れ狂ったのち一瞬のうちに静まり返る引き際の良さは見事というしかない。

ミヒャエル・ハンペによる演出は奇をてらうことなくわかりやすもの。CGの映像で幽霊船を表現したかと思えば、場面転換なく船上の表情が変わる。これも技術を駆使した最近の傾向だろうか。
最後は「終生にわたるオランダ人への救済」が偽りでないことを明らかにするため、自らの身を海に投げるゼンタの影を見ると、手を広げての十字架の姿があった。たぶんだが、どの方向からでもその影が十字架に見えるようにしたのではないだろうか。
その後、終始舞台上に伏していた舵手が眠りから覚めると、これまでのことがすべて夢であったかのように海は凪、船長や仲間がいるいつもの船上の光景が広がっている。いづれも心憎い演出である。

そんなどこを取り出しても満足のいく公演の成功はマエストロ沼尻の力量だろう。
ここ何年かはオペラを指揮されているようだが、正直以前のオケを中心に振っていた時でさえマエストロの演奏を聴く機会はほとんどなかったといっていい。知っていたのはピアノも抜群にうまい天才肌の方程度のこと。
しかし、今日の演奏を聴いてみて、素質や努力に裏打ちされた抜群のバランス感覚に目を見張った。全曲を通して、音楽として飛び出て聞こえるところはどこもなく、すべて一つの作品として同じ水準が保たれている。
たとえば、序曲一つとっても頭では「冷静に」と分かっていながらも「やったるか」的に力が入ってしまうのが人間の性でもあるがそれがない。すうっと物語に観客を引き入れ、そのまま続けていってしまう。
オペラとオケの両方を満足いくように表現できる指揮者は多くはない。ましてや日本人となるともっとだ。年齢も50代前半と若い。遅まきながらではあるが、今後はそのオペラ指揮には目が離せなくなった。
順調にキャリアを重ねていけば、近い将来間違いなくオペラ部門でもそれなりのポストに就く方であり、就いてほしいと思った。

20分は続いたであろうカーテンコール。そんな良い演奏会に巡り合えたことを素直に喜びたい。


〈データ〉

神奈川県民ホール オペラシリーズ2016
2016.3.19(土) 14:00
神奈川県民ホール大ホール
※20(日)も同時刻で開催

ワーグナー:さまよえるオランダ人

指揮:沼尻 竜典
ダーラント:ロバート・ボーク
ダーラント:斉木 健詞
ゼンタ:横山 恵子
エリック:樋口 達哉
マリー:竹本 節子
舵手:高橋 淳

【料金】 C席 6,000円


 

ドヴォレク@オペラシティ

  • 2016.03.18 Friday
  • 23:02
早々と今年3回目の本番は、昨年4月から練習してきたドヴォルザークのレクイエム。
といっても、「そんなに早くから練習してきたかなぁ???」というのが正直な感想。それというのも、今日までの間にも4回の本番を抱え、複数曲を同時並行で練習してきたので、練習の達成感という意味では手ごたえが...しかし、あれよあれよという間にオケ合わせがきてしまった。

一回目の合わせでの合唱の出来は???。まったく豊かな響がなく、声が埋没している。「これってマズくないか?」
その懸念は幸いにも翌日の2回目の合わせで随分と解消された。そして多少の余裕が出たのか、オケを聴いて初めて曲の持つダイナミズムと繊細さに魅入られた気がした。

英国のバーミンガム音楽祭からの委嘱によって作曲されたこの曲は、レクイエムという形はとっているが当然音楽祭で演奏されることを前提に書かれている。そんな経過もあってか、ソロあるいは二重唱との合唱のからみはもちろんだが、男声あるいは混声のアカペラ、ここぞというところでは混声四部ではなく六部や七部にするなど、より響きを求るための手法が用いられている。そんな曲の展開がレクイエムを超えた、飽きさせない仕掛けとして曲の魅力を高めているのではないだろうか。

どの曲も美しさと大胆さに散りばめられているが、特に印象深いのは「Tuba mirum」と「Agnus Dei」
「Tuba mirum」はアルト、バス、テノールの各ソロと合唱とがバトンタッチしながら進んだ後、「Dies irae」の歌詞とメロディが再現される。4分の6拍子の中で、合唱四部が4分音符と付点2分音符に分かれて織りなす様は前曲の「Dies irae」と同様に印象的だが、ここでの違いは、途中2回、わずか2小節ではあるがトロンボーンのロングトーンが鳴り響くことだ。これによって、音が重層的になりかつ広がりが増し、前曲とは違う「Dies irae」の世界が生み出された。そして終盤は途中六部まで拡散していた合唱が「Tuba mirum」で四部に「ぎゅっ」と集約されたと思ったら、最後は七部に解放されていく。溜め込んだエネルギーを一気に放出する感じだ。心地いいことこの上ない。そして最後には冷静さを取り戻すかのように、男声のアカペラで締めとなる。なんと見事な演出!
「Agnus Dei」はどうだろうか。「dona eis requiem sempiternam」に続いて、ソプラノソロから歌われ合唱が呼応する「Lux aeterna luceat eis,Domine」。三連符を含む付点音符で集中力・緊張感を高めたあと(かつ男声は四部あるいは三部)、ソロと一体となって2分音符や4分音符へ引き継がれ解放されていく。こちらも歌っていて武者震いが止まらずアドレナリン全放出の感。
一音一音が体に心に染み入ってくる。こんな感覚を持ったのは初めてかもしれない。

ソリストの方々の引き締まる熱唱にも助けられて公演は成功裏に終わったが、それもこれもマエストロ高関の的確な指導と優れたバランス感覚に負うところが大である。
Offertoriumの冒頭では、「やわらかく、かつ強く」、フーガ部分では「fは強すぎない。気持ちいい感じで」、Agnus Dei最終盤のRequiem aeternamでは「隣の人に聞こえないくらいのpで」等々は楽譜に残るマエストロの指示の一部だ。個人的にはそれらのうちどれだけ再現できたかわからないが、長く続いたカーテンコールを見て、何がしかが多くの聴衆の皆さんに届いたであろうことは確かだ。

これまでレクイエムといえば、ヴェルディ、モーツァルト、フォーレ等が定番。今回ドヴォルザークを初めて歌ってみて、なぜこの曲があまり取り上げられないか考えてみた。つまるところ、他曲とは別な意味で表現することが難しいからではなかろうか。一曲一曲が異なった表現をすることを求められているため、それなりの練習ではまったく曲としての体裁を保てない気がする。

公演が終わったばかりなのに、近い将来是非にも再びこの曲を歌いたいとの思いが強くなってきた。この曲を名曲と言わず何が名曲だろうか。。。


〈データ〉

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第296回 定期演奏会
2016.3.18(金) 19:00
オペラシティコンサートホール

ドヴォルジャーク:レクイエム

指揮:高関 健
ソプラノ:中江 早希
メゾ・ソプラノ:相田 麻純
テノール:山本 耕平
バリトン:大沼 徹
合唱:東京シティ・フィル・コーア

 

西国巡礼満願

  • 2016.03.05 Saturday
  • 23:51
ここで休題。西国巡礼ってご存知ですか?

一言で言えば、約1300年の歴史がある日本最古の巡礼で、近畿を中心とした2府5県に点在する三十三か所の観音霊場を参拝するというもの。このたび、ついに!三十三番目の華厳寺の巡礼を終わって「満願」を迎えた。

振り返れば、ふと「西国めぐり」を思い立ったのが2年前の平成26年の夏。
その前年、遷宮でにぎわう伊勢神宮を訪れた際、那智の青岸渡寺で「西国三十三か所観音巡礼」(西国札所会・編)という一冊の本に目が留まったので購入した。しかし、悪い癖で買ったはいいが書架に”積ん読”こと半年。。。買ったことも忘れて、書架の整理をしようとした時に再発見したのがその本だった。
一方で、ハマルほど”乗り鉄”ではないが、乗り物好きであることも事実。「青春18きっぷ」の存在はもちろん知っていたもののそれまで使ったことはなかった。

そこで考えた。「西国めぐり」に興味が湧いたが、いかんせんここから(関東)だと交通費もただならない。しかし「青春18きっぷ」を使えば、時間はかかるが交通費を浮かせることことができる!ちょうど時は「青春18きっぷ」の発売期間中。また奇しくもJR西日本がその年の5月から5年間わたって「駅からはじまる西国三十三か所めぐり」のキャンペーンを始めていた。

これで決まった!「西国めぐり」を始めよう!スタンプラリーも楽しもう!ただし、制約を付けた。関西エリアまでの移動は「青春18きっぷ」のみ。現地へは公共交通機関のみ使う。歩くことが基本。
それから「青春18きっぷ」の発売に合わせ、仕事に合間を縫って”上洛”すること7回。

正直言うと、すべての観音様とゆっくり対話できたわけではない。中には電車やバスの時間の関係で御朱印だけいただいて走り下りたところもある。しかし、巡礼のなんたるかがすこしわかった気がする。それは自らの「健康確認」の行程でもあることだ。
いくら電車やバス、あるいは車が便利でも、すべての観音様までそれらで行けるわけではない。容易にたどり着ける観音様のほうが少なく、最後、山門からは”自らの足”で歩かなければならない(三十一番札所の長命寺は808段の石段。下から見上げただけでこれだけの石を積み上げた、いにしえの人々の思いはいかばかりかが容易に想像がつく)
行程の詳しくは別の機会にお披露目したい気もするが...

と、そんな一年半の西国巡礼を終わったと思ったら、あるパンフレットが目に入ってきた。
「西国三十三所草創1300年」(西国三十三所札所会事務局)
それによれば、来る2018年、西国三十三か所が草創1300年を迎えるにあたり、今年の3月から2020年まで特別拝観などの事業を行って巡礼の未来への継承を目指すという。そこに書かれた「いまこそ慈悲の心を」とのフレーズも時代が求めているように響く。
西国が終わったから、坂東の寺めぐりでもと思っていた矢先のこと。悩ましい。。。

いま大人の世界で、ちょっとしたラリーブームとのこと。企業の仕掛けや個人の動機はさまざまだが、現場に行って自分の五感を研ぎ澄ませば新たな発見であること事実。さて、次はどこへ出かけますかな?

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