何年越しだろうか...ブルックナーの「テ・デウム」をマエストロ飯守の指揮で歌える!と聞いた時から...ついにその時が来た感である。
名曲のわりには演奏機会はあまりない、というか、個人的には「これまで聴いたことはあっただろうかあっただろうか???」というぐらいの演奏頻度。先日の「千人」のほうが余程に演奏されている。演奏時間も20分程度だしそれほど難しい曲とも思えないが理由はなんだろうか?
ただ指導の藤丸先生は練習中しきりと「ただただ恐ろしいまでの信仰心を能面のような感覚で表現して。きれいに歌うこととは対極にある歌い方を」と話していた。そのあたりにこの曲の真の難しさが隠されているのかもしれない。
いよいよ開演。冒頭のリズムが分厚く鳴り始めた時、それは起こった。不覚にも、目頭が熱くなってしまったのである。まさか、こんなことが起こるなんて想像だにしなかった。それだけそのリズムを渇望していたのだろうか...
プログラムは後半。マエストロのブルックナーツィクルスの最後を飾る「九番」を聴ける機会となった。前半出演して、後半聴けるなんてなかなかない。
そしてこの演奏、ツィクルスのフィナーレを飾るにふさわしい、とてつもない演奏となった。今年最大の快演といってもいい。
一音一音噛みしめるよう確信をもって音楽の流れを作るマエストロ、一方で一人ひとりが自発性に満ち溢れたさまで、熱くかつ確実に応えていくオケ。弦と体が一体となったかのようにしなる身体から生み出される弦楽器の響きは生命力に満ちた音色そのもの。木管は美しいメロディを奏で、金管はその心地いい咆哮によって音の広がりを深め、打楽器は要所要所で曲を引き締めていく。
久し振りに生演奏を聴いたとはいえ、こんな凄味のある「九番」の演奏を聴いた記憶はない。
ここ最近の「グローバル化」「ネットワーク化」というキーワードで考えると、そこで生じた現象は「没個性」「均質化」ではないだろうか。日本の地方都市が「ミニ東京」になって久しく、それと呼応するかのように方言も昔ほどには意識の俎上に上がらなくなったことなどは一例であろう。楽団の世界でも、昔ほど楽団の個性は感じなくなった気がする。
そんな中で、20年近く一人の指揮者の強烈な個性で演奏活動してきたのが、マエストロ飯守=シティ・フィルである。正直、シティ・フィルより演奏能力が高い楽団はほかにある。しかし、いくら能力が高くても、今日と同じような演奏ができるとは到底思えない。こと、ある曲の演奏に限っては、マエストロ飯守=シティ・フィルしか生み出せない音がある、演奏がある。「どんな曲でも平均以上に演奏を」とは理想ではあるかもしれないが、それを求めるあまり、個性を失ってしまってはどうだろう?魅力ある楽団といえるだろうか?
そんなことを考えると、このコンビは現在の楽壇にあって貴重な存在のひとつであり、そのDNAは長く続いてほしいと願わずにはいられない。
終演後の、20分近くは続いたであろう聴衆の賞賛の嵐の中で感じたことである。その時はもはや「テ・デウム」を歌ったことさえ忘れていた自分がいた。
〈データ〉
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第299回定期演奏会
2016.7.5(火) 19:00
東京オペラシティコンサートホール
ブルックナー:テ・デウム(ノヴァーク版)
ブルックナー:交響曲第九番(ノヴァーク版)
指揮:飯守 泰次郎
ソプラノ:安井 陽子
メゾ・ソプラノ:増田 弥生
テノール:福井 敬
バス:清水 那由太
合唱:東京シティ・フィル・コーア