The Damnation of Faust@Barbican

  • 2017.09.17 Sunday
  • 23:31

聞き知っているだけだった「ファウストの劫罰」を歌いきってからもう一年になるのだから、時の移ろいの早さには困ったものだ。

その魅力に取り付かれてしまってから、「演奏会はないものか?」と日本では望めないため海外に眼を向けてきた結果、今年2月にはリエージュへ飛んだ。

その後も日程を睨んできたが、ついに「今年の本命」といえる演奏会を見つけたのでやってきた。場所はロンドンである。

 

初めてこの地に来たのはたぶん20年以上前。それから世の中は大きく変わった。

しかし、ヒースローから中心部へ向かうPiccadilly Lineから眺める風景-レンガ造りの家から突き出ている煙突、その向こうに広がるどんよりとした曇り空-は、当時と変わらず何事もなかったように同じだった。

 

滞在の最後の夜に演奏会はあった。場所はBarbican。tubeのBarbican駅を降りて地上に出たとき、初めて来たときの風景を思い出した。「そうだ、そうだ。このトンネル状になっている道を抜けたところがBarbicanだった」と。そしてその時は聴いた曲は「メサイア」だったことも。Barbicanの外観も変わっていなかった。

 

 

会場内も記憶と違わなかったが、よく見ると客席の高低差が非常になだらかなことを再発見、敷地を十分にとっており圧迫感のないのは居心地がいい。

 

 

さて、肝心の演奏会。これがこれ以上何を望むかと思える完璧な出来!ここまで合唱、ソリスト、オケが一体となったファウストの演奏は今後聴けるかどうか疑わしいほどで、すばらしいの一言に尽きる。

 

まず何より、合唱が尋常じゃない。付属のLondon Symphony Chorusで、人数は130人程度、5.5対4.5でやや男性が多い陣容。数々の録音もある実力十分の合唱団だが、その上手さにはとてもいじゃないが敵わない。

何よりいいのは、塊としての一体感。生命が宿る生き物のようにその中に”個”は見えずに、大きな”個”だけが自由自在に音を繰り出していく。指揮者の棒で縦横無尽にいかようにも変化していく心地よさ。

そこから感じるのが力みがないこと。合唱の本質を一人ひとりが理解しているからこそなせる業だ。歌いこなれているいることがひしひしと伝わってくるパーフォーマンスの良さだ。

そのような音の塊が完全にオケと一体化しているのだから、凄みある演奏にならないはずがない。

 

冒頭の軽やかな「農民たちのロンド」、遥か彼方の天から聴こえてくるような誘いで始まった、前半の山場である「復活祭の合唱」、飲んべえの合唱や地の精と空気の精の合唱、兵士たちの合唱や学生たちの合唱等々、秀演は数え上げたらきりがない。

 

また、ソリスト陣も充実。この物語の鍵を握るメフィストフェレス役は当初予定されていたのGelald FinleyからChristopher Purvesに交代になったが、十二分な出来で劇を引っ張った。またマルガレーテ役のKaren Cargillはかなりの実力者。「トゥーレの王」もちろんよかったが、ファウストとの二重唱、ロマンスは圧巻の出来。その豊穣な歌いっぷりは心に響く。

 

そして何よりこの大曲を終始緊張感に満ちたものに仕上げたマエストロRattleは、やはり凄い。

一曲一曲の中でも音の緩急を織り交ぜて作り上げて行くさまは、曲全体に緊張感を生む源になっているうえに、次曲へのステップへと繋がっている。この好循環が連続しているのが凄さまじい演奏になったのではなかろうか。

例を挙げると有名な「ハンガリー行進曲」。誰もが最後は高らかな咆哮で期待しているが、彼は咆哮した後、すぅーと音を引き取っている。いわば鳴らしっぱなしで終わらないのだ(これは他の演奏を聴いて検証が必要かもだが...)

また合唱やオケとの音のバランス感覚も卓越している感がある。

 

地獄落ちから伏魔殿の怒涛の合唱も終わった後、終局の「天国にて」で思わぬことが待っていた。

「合唱が少し厚いかな?」と思っていたら迂闊だった。最前列で転落防止柵のため視界が舞台しか見えないため、気がつかなかったが、乗り出してよく見ると舞台下の客席最前列に少年少女合唱団が入場して歌っていたのだった。途中からマエストロも横向きになりながら棒を振ってもいたが...

マエストロもこの大曲の終曲というよりは、「すべての人は望みを捨てるなかれ、幸せに微笑みかけたまえ」という思いで振っているような気がした。

そした静かにタクトがおろされて数秒後、会場内から怒涛の拍手が沸き起こった。それはすぐにスランディング・オヴェーションとなっていった。幸せに溢れた時間だった。

 

今日のような演奏を聴いたら、何か次の機会を得るのが怖いくらいだ。しかしながら改めてこの曲の面白さに惹かれてしまったからには、これからもファウストの追っかけは続くだろう。

 

〈Data〉

 

LSO SEASON CONCERT

Sunday 17 September 2017    6:00PM

BARBICAN HALL

 

THE DAMINATIION OF FAUST

 

Sir Simon Rattle : conducter

Karen Cargill : Marguerite

Bryan Hymel : Faust

Chiristopher Purves : Mephistopheles

Cabor Bretz : Brander

London Symphony Chorus

Tiffin Boys' Choir

Tiffin Girls' Choir

Tiffin Childrens' Chorus

 

price: £20.00

 

 

P.S.倫敦夜話

 

現地到着は15日の夕方。やっと落ち着いてテレビをつけると、BBCが「London tube Explusion」と。「あぁ...」と思った後よく聞いてみると起きたのが同日の通勤時間帯。この後犯人と思しき少年らは捕まったが、何事もなきように。

 

また16日には初めてImperial War Museumを訪れた。和訳名が「帝国戦争博物館」と物々しい名称だが、奇しくも今年は設立してから100年というので、記念関連グッズも所狭しと売られていた。第一次大戦、第二次大戦、そして最近の戦争まで実物も多数展示されていた。

びっくりしたのはたくさんの人が訪れていたこと。日本でそれに類する施設にどれほどの人が行ったことがあるかを考えれば驚くほどだ。たぶん、”戦い”に対する考え方の違いかもしれないが、歴史の一部に向き合っている姿勢なのだろう。その前に訪れたTate Britain に引けをとらない混みようだ。

 

しかし当地では関連グッズを売る事にかけては世界一かもしれない。先のImperial War Museum然り、Tate Britain然り、Barbican然り(文具やトートバックなど)。買う人も多くいるので成り立つ商売か。

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